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田舎暮らしの日常。日常を受け入れることが幸せへの近道

田舎暮らしの日常。それは田んぼへ出たり畑に入ったり、林の奥の向こうの方へ行ったりすることでもなく、ただただ閑静な田舎暮らしの物理的な距離の移動に対して受け入れるだけの言葉を頂き、ああー日常。私の日常として受け入れることが幸せなんだなあ~と気づかせてくれた。三井住友銀行での陶芸家との会話。


  

 

11月末日。新たに働き始める会社の事務作業で三井住友銀行の支店変更を行う必要があった。入社後対応可能という書類ではあったが、揃っていないと気持ち悪い気質なので、わざわざ市内の三井住友銀行へ赴くことに。三井住友銀行に行くのは2回目だろう。口座開設に行った数年前と。今回。まあ銀行には縁のない人間。両親は元銀行員だが。

 

 

で、いつものように保育園に送りに行き、一度自宅に戻り事務作業をへて、三井住友銀行へGO。エンジンオイルとタイヤを交換したKトラ走らせ10時過ぎに。後に控えるは役所で住民票の発行申請と健康診断。長々と銀行で過ごす気はさらさらない。

 

 

銀行近くにある柴田駐車場に車を停め、三井住友銀行へ。待ち時間なく対応してもらう。今回は今ある通帳の支店をAからBに変更してもらいたい!という要件。回答は一度口座解約してから新たにBという支店名で口座を開くという流れに。

 

 

40分ほどで、申請が終わり出来上がるまでの時間しばらく待つことに。後ろのベンチに座りに行くと、知った顔が。そこまで懇意にしているわけではないが同じ地域の陶芸家さんが座っていた。以前から話すことが文学的であるのにもかかわらずロジカルで、分かってらっしゃる人だなあ~という印象を受けていて、話すたびに面白かった人だ。

 

 

ご無沙汰です。と話しかけると、分かったような感じで返答しながら、ウィットにとんだ返しをしてきはる。さすが。忘れているような覚えているけども思い出せないような感じが見て取れたので、気づかせるようなWordを散りばめながら会話をすすめる。

 

 

どうやら点が線になって、未来がみえた感じを受けたので、話しこもうと身構えるも、僕の次に待ってたようで呼ばれたので離席。戻ってきてからまた話し出す。陶芸家。移住者。人足。地域おこし。イベントという性格。

 

 

淀みなく会話が続く。ここは喫茶店か?いや三井住友銀行のロビーのベンチである。

 

 

こう言い切った。「日常。仕事で待つことも日常やねん。俺が器を焼いている時間も日常~この時間に料理できるわ~」

 

 

自分ではわかっていたつもりだったが、言われて気づく。ああ。田舎暮らしの物理的な移動距離と時間に関して、マイナスしかなかったな~。

 

移動すること。平日の保育園の送り迎えに2時近く使っていること。

病院の送り迎えに半日以上使っていること。

家族の出生や治療に関して行政機関への赴くこと。

ハローワークに行くこと。

新しい職場に提出する書類を整え、健康診断書をもらうために健康診断へ行くこと。

 

 

すべてが日常。これが私の今の日常。この日常に対して文句言っても仕方がない。保育園は近くのならないし、病院も遠くならない。行政機関はネット申請できないし、ハローワークはハローではない。新しい職場に行かなければ何もしなくてもいい。

 

 

私が選択した日常に対して、それを良くするも悪くするも自分しだい。日常を生み出すのは自身ではないんだな家族であり社会である。唯一、日常を演出することは出来るということだ。

 

 

珍しくAMを聞いてみた。1179、1314、意外に奈良は入りが悪いのか?NHK第1放送が一番入った。ミュージシャンのECDが癌と戦う中で妻と赤裸々な交換日記をしたこと。病気が離婚を留めたこと。今まで聴けなったラジオ放送が入る。

 

天皇退位の第一報も流れてきた。今まで日常を演出できなかったことで空洞化した楽しみはチャンネルを変えることで容易に叶ったのである。日常を受け入れたことによる褒美なんだと思う。日常はドラマチックにもできる。演出すら可能だ。少しチャンネルを変えるだけでいい。道を変えてみるのもいいだろう。ファイヤータブレットを最強に使うための車載道具をそろえるもいいかもしれない。

 

 

日常を。人に話せる日常を。家族が笑える日常を。もぞもぞしている次男を尻目にブログを更新する父親を。

 

 

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